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代表者挨拶

代表取締役 伊藤弘幸 写真

代表取締役 伊藤弘幸

私は生まれも育ちも安芸区矢野です。62年間この町で暮らしております。 高校は陸上部で、毎日走ってばかりの生活でした。先輩方の熱いシゴキにも耐え、憧れのインターハイに800mで出場する事が出来ました。大学ではサイクリング部に所属し、北は礼文島から南は西表島まで日本を縦断し、全国の風景や人々の情景・風習、そして建築物を見て廻りました。そして、当時流行っていた小田実の「何でも見てやろう」に感化され、一人バックパッキングでヨーロッパ各国も見て廻りました。好奇心旺盛な私は、東京や遠くはニューヨークまで、音楽を聴いたり、絵画を見に行ったものです。

最近私は、グローバルな世界の中で日本たるものは?尊敬される日本とは?と考える事があります。日本の歴史を通して抱いている私の建築観、またこれまでの私の五感を通した経験を活かして仕事をする事が、これからの「私の使命」だと思っております。
略歴
広島県広島市生まれ。 高校では陸上800Mでインターハイ出場。 大学では北は北海道礼文島から南は沖縄西表島まで自転車での日本縦断。 1977年ヨーロッパひとり旅。 大学生活最後に、担当教授との出会いで建築を志し現在に至る。
愛読書
「森有正全集」 「シッダールタ」 ヘルマン・ヘッセ著
職歴
昭和52年4月~昭和59年6月 建築事務所 勤務
昭和59年7月~平成18年8月 建設株式会社 勤務(平成2年9月17日 取締役就任 後 常務取締役就任)
平成18年9月27日 株式会社 伊藤禧 設立 代表取締役就任
平成25年9月5日 株式会社 ウイズアートへ社名変更
現在に至る
広島陵北ロータリークラブ会員 川の会メンバー

今を生き生きと~起業してからの想いを綴っています~

2018.5
『 ハイデガー』に学ぶ
 青春多感な頃、よく「私は何故此処にいるのだろう」と問い続けていました。そして壮年となり仕事や家庭で忙しく働いているうちにまたこんな問いを考える歳となりました。 学生の頃、今世紀最大の哲学者ハイデガーの「現存在」や「我、今、此処」そして「実存」という言葉を知り、歴史を学ぶことは、知りえた過去を引き受け、未来への私を、その世界へ投機しうる全責任を引き受ける今の私が此処に在り、明日への希望を持ち得ることにより今を生きることが出来る。それは順番に来るのではなく、いっぺんにやって来る。これが「時間」であり「今」と云うことなのだろうと自分なりに綴ってみました。 明日への希望として『私を投影する生きとし生けるものに明日があるように』と願う私を通して観る世界のすばらしさを感じ取り、また、日本の若者が明日に希望を持ち続けられるようにと伝えずにはいられない年頃となり、今からの月日に感謝しながら、『たくましく』、『優しく』人生を過ごしたいと思っています。 2007年、最初にこの欄に述べた「正法眼蔵」や「ハイデガー」を改めて読み直し、大人の時間を過ごしたいと考えます。
PS:『誰にもわかるハイデガー』の著者筒井康隆氏は 「現存在」を自分を気遣う存在だと言っています。自分が死ぬと知っているから自分をいちばん気遣うのだと。自分はいつ死ぬか分からないけども、自分が死ぬ前にいち早く先駆けることを先駆(せんく)と言い、死ぬというものを了解する・・・では自分は今何をするべきか、自分には今何が出来るか、そういったことに、これらは向かわせてくれるのですとも綴られています。 世人から孤立することによって、逆に他の人との本当の関わり合い、本当の話し合いというものができるようになる。とも書かれていました。

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2017. 6
『 豊かさ 』
 現在、大学院修士課程で『 企業戦略』の講義を夜間受講しています。 企業戦略と言う名前は何か物々しい名称ではありますが、講義はとても興味深く、楽しい時間であります。ここでは日本の企業がこれからどのようにすれば発展していくか、また世界の企業とどう異なるのか、いろんな視点で学んでいます。規模は異なりますが今の私の立場に沿って考えるととても有意義な時間です。 最近、豊かさについて私は、つかの間の一時“生の営みを喜ぶ我”を感じ、感じられる時間を言うのではと思うようになりました。二人で歩く川辺の道、一輪の花を愛でながら食事するテーブル、学生と共に学び討議する図書館、また一人綴る夢想の言葉の世界、昔、恩師から学んだ「我思う、故に我在り」や、今学ぶ「エレガントであれ」そこで学び、働く人々が少しでもふと”我”を感じられる豊かさ、私はそんな環境づくりの出来る企業を望みます。ウイズアートの企業文化とは何だろうか、こんなとりとめのない想いを「可視化」出来たら素晴らしい企業になるのではと毎週楽しみに講義を受講しています。 日光東照宮の平成の大修理を行った工藝社社長であるデービット・アトキンソン著作の「新・所得倍増論」、「新・観光立国論」、「日本再生は、生産性向上しかない」を読み終え、そこにはひとつの豊かさを求める GDP (Gross Domestic Product: 国内の生産活動による商品・サービスの産出額から原材料などの中間投入額を控除した付加価値の総額)の勘違いや観光立国の方程式、また数値で 見た今の世界における日本の位置 (順位)が述べられていました。1980年代、イギリス、アメリカから始まり日本では 1992年バブル崩壊以降、日本型資本主義から、新自由主義が日本の経済を動かしています。そこには日本人口の少子高齢化との関わりが大きいようですが、そこから生じる弱者と強者といった乖離をこれからの若者たちはどう乗り越え、いかに生き抜いていくのだろうか、また、これからの日本の豊かさや考え方についても考えさせられます。と同時に、私達自身の魅力を磨き、伸ばし、発信し、これからの時代を担う若者達と共に希求し、時代を謳歌するすべを学びたいものです。 「人、モノ、金」という 力だけでなく、そこにはきっとたゆまない努力や多くの情報に惑わされない思考力、その行為を育む健全な身体を持つことによって他人に対する優しさや寛容の世界を見出すことが出来るのではないでしょうか。 “さーぁー ひと休みしたら、腰を上げて背を伸ばしゆっくりと前を向いて共に歩んでゆこう。”
デービット・アトキンソン著「新・所得倍増論」 デービット・アトキンソン著「新・観光立国論」 デービット・アトキンソン著「日本再生は、生産性向上しかない」
2016. 5
『いちばん貧しい大統領』ホセ・ムヒカ
「私たちが生きていることは奇跡だ。」と言う記事が載っていました。 私は、日常の生活に埋没している日々が多いなか、何気ない日々が『奇跡』だということに驚きを感じえざるを得ませんでした。職業柄、施主の思いが伝わる空間を提供したいという弊社の思いや理念を生み出す日常の生活がこれほどまでに大切で、素晴らしいと表現した彼の言葉には、大統領ではなく、この時代に共に生きている一人の人間として信愛感を持ちました。 私達はよく「生かされている」と言う言葉を耳にします。あらゆる生き物に対して人と同じように生かされているという人生観は自然の中に生きている日本人ならではの考えです。しかしこのような考えは大陸の人々には無く「生き抜く力」を必要としているように思えます。日本からあまり出たことのない私は大陸の資本主義等のイデオロギーに驚かされます。 「清貧の思想」と「ホセ・ムヒカの言葉」を読み比べて、日本の清貧と大陸の貧しさの違いがよくわかります。四方を海に囲まれ、外敵の侵入に対してもあまり不安感もなく、四季のある気候風土、この日本で生まれたことに感謝し、この生命を大切に、そして出来うるなら人の為、地域の為に貢献できればと考えます。 一人一人がもっともっと日本の良さをかみしめ世界に貢献できる国にしたいものです。 ≪リオ会議(Rio+20)ホセ・ムヒカ演説文 一部抜粋≫ ・・・・・。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
中国新聞 2016年4月より
2015. 5
弊社のお客様のK社長から出光佐三の「日本人にかえれ」を読んだことがありますか?と問われさっそく読んでみました。 そこには、「互譲互助」お互いに譲ってお互いにたすけるということが日本民族の根本の道徳ということが書かれており、日本の皇室に関してや外国と日本の経営の違いが書かれています。 一体企業は何のために存在するのか ビジネスや経営は財とサービスをつくるだけの為なのか・・・ 日本人の清廉潔白にして責任感ある民族性では、金にとらわれず、責任を果たすことが「お互い」ということに含まれ、そこには権利とか自由とかいう言葉はいらなかった。尊徳翁(二宮尊徳)の「勤、検、譲」を例え、自分以外に頼るものはないぞという覚悟で勤め、そして次の世代の為に蓄積する。 そして蓄積したものの中から譲るということが天の道であり、人の道であり・宇宙の真理でもある。このことを認識出来るのが日本人であると。 このような日本に対して、外国には「譲る」、「恩」という事実・言葉がなく、法律に従うことだけがモラルであるということなど、興味深い内容が書かれています。 また、最近話題になることが多い三島由紀夫に関しても、著者は「三島という作家は日本人の在り方を小説に書き、日本人とはこういう民族だということを書いた。 そして、世界はその文章ではなく、その思想に、こういうふうにやれば世界が平和に幸せになるんだろうということを感じ、ノーベル賞与えようとしたのではないか」とも書いています。 「日本人」「日本民族」ということをあらためて考えさせられた一冊でした。 皆様も異なった意見として「日本人にかえれ」を読んでみてはいかがでしょうか。 ※加地伸行氏が“道徳教育”の大切さを「正論」に投稿されている文章をご紹介しておきます。
産経新聞 2014年12月29日より
2014. 5
安藤忠雄といえば「打放しコンクリート」の代名詞と言われた建築家ですが、いまや地球環境学者といっても過言ではないような気がします。建築という型を造ることから人々の生活、環境を創りだす。そこには学歴や肩書ではなく人々や地球を愛することから、つまりこの記事にも書かれているような個人の「人間力」を磨くことが大切なのではないでしょうか。そこから対話は始まるような気がします。
たとえば広島という地域で考えてみよう。2014.4.22の日本経済新聞記載されていた記事です。

【逆風続く広島・紙屋町】 「各店が“点”でがんばっているが本当は“面”で展開すべきだ」 「客を奪い合うのではなく、広島駅から中心街まで全体の回遊性を高めるべきだ」 「街全体をデザインできるプロデューサーがいない中では小さな成功例を重ねていくしかない」

皆が皆問題意識は同じなのにどうしてまとまらないのだろうか?
広島の夢はなんだろうか。 私たちの夢はなんだろうか。 もっともっとみんなで「夢」を語ってみようよ!

日本経済新聞 2014年4月22日より

2013. 3
38年前に読んだ森有正の日記(1954~1968)を再読してみました。「生きる」とはどういうことか、あらためて深く考えることが出来ました。 生きる、それは自分に対して何らかの価値を見出していくことではないでしょうか。 どんな仕事でも努力し、継続することはすばらしことです。 また毎日を感謝しながら一日、一日を送ることも心豊かですばらしいことです。 全てのことが自分への励ましとなるのです。 しっかりとした立場で、毎日の役割を果たしていきたいと思います。 下記は森有正全集の一部を抜粋したものです。 伝統とはひとつの文明の最も明確な部分であり、それによって文明は自分の性格を持つのである。人はいかなる文明の伝統の内に自分を見出すのか、それは初めからは決して判らない。ただ、その形はどうであれ自らを定義するに至ったとき、はじめてどの文明に自分が属するのかを知るのである。そしてその時、伝統はその人のものであることを明らかにする。この地点だけが、運命というものを語りうる唯一の場所である。ひとつの運命から出発するということ、それは既に確立されたものとして強制される既製の運命を受け入れないことを意味するのであって、それ以外ではない。しかし、自由な経験を経たその出口において、本当の運命が現われる。これこそが避け難い彼の運命である。自由なる運命、そこからは凡ての偶然のもの、空想によるもの、恣意的なもの、そして、選り好みによるものは最初から除外されている。 森有正自由なる運命の先に私がいるようです。
2012. 5
「見切り千両」という言葉があります。私が会社設立時に先輩からおそわった教えで、最近あの有名な上杉鷹山公の教えの一節だと分かりました。 「見切り千両、無欲万両」 今まで一つのことを継続することは大切なことで、できるだけあきらめないといいきかせてきましたが、還暦をむかえるにあたって一人の人間の時間とエネルギーには限りがあり何かをあきらめることで他に選択できるすばらしいチャンスに出会え一日が24時間以上に永いことに気付きました。 自分を表現できる喜びその努力をおしまない事はすばらしいことだと思います。
ちなみに、無欲とは井原西鶴は「貯蓄十両、儲け百両、見切り千両、無欲万両」と言っています。他人の喜びや利益を第一に考えることが、まわりまわって自らの利益に撃がる。つまり自分のことでなくまずお客様や社会のことを考えて行動することで、自らも生かされていく、商売の言葉で「三方よし」ロータリーの言葉で「四つのテスト」、結局、今も昔も日本も、世界も世の動きは変わらないのではないでしょうか・・・。
2011. 1

何十年ぶりの雪の京都。 南禅寺の山門から見る雪景色は 道元禅師の 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」 という句を思い出させます。

私は自然のなかにいる。 自然には人の喜怒哀楽の情はない。 ただ自然があるだけ・・・

南禅寺山門より

2011. 1

秋元康氏がある新聞に書いておられる内容を見て、もう一度がむしゃらに!!やってみようと思いました。

日本人は高度経済成長を経て「日本はすごい」という意識が染みついているが、新興国の台頭に押されている。今こそ戦後の貯金がゼロになったつもりで、もう一度がむしゃらになる時ではないか。そうすれば松下幸之助さんとか本田宗一郎さんのような人が現れるはずだ。

また、以前他誌に

今の時代は「地図」がありすぎるんです。 今の時代に一番必要なのは生命力。タフに生きてやるという力です。今までの地図を手放して、自分が面白いと思えることをやるビギナーになれたら、未知の可能性を開くのではないでしょうか。

と言われていました。とても共感しました。

2010. 1
新年、京都から琵琶湖を一周してきました。 彦根城、彫刻家 佐藤忠良の作品のある佐川美術館、竹生島、長浜、向源寺の十一面観音、小谷城跡、マキタと2泊3日の旅でした。 また高島にある中江藤樹記念館にも立ち寄って下記の資料をいただきました。 自分なりに、王陽明の「知行合一」から吉田松陰の「国家とともに」までの関わりをたどりながら、比良の山々の雪景色をあとにしました。
2010. 4

狩野亨吉(1865~1942) 『価値などは人間がグループを作る上の指導的なものに過ぎない。』 夏目漱石は彼を終生敬愛、漱石の弔辞も彼が読んだ。 また彼の残した膨大な10万冊といわれる和装本、いつか私も読んでみたいものだ。 その彼が、

〈価値や真理に絶対はない〉 〈ただ自然があるだけで、その自然には価値も何もない〉 価値は〈そのグループを離れると、他に通じないもので、無価値なものである〉
と書いてあるコメントに、目が留まりました。 このコメントを書いた磯田道史さん(歴史学者)の本も読んでみたいものです。

朝日新聞 2009年10月31日より

2009.12

寺島実郎さんが誌上に

今という時代は、平板な情報であればネット検索でキーワードを追いかけるだけで、誰でもあるレベルまで到達できます。 しかし –中略– 世界を知るための本当の力は、誰も教えてはくれません。これまでが「高度情報化社会」だとするならば、2010年は「高度学習社会」を生き抜く主体的な意思が個人に求められるでしょう。 例えば –中略– お金を支給すれば瞬間的な拍手は起こっても、長い目で見れば政治をポピュリズムに陥らせる危険性があります。 格差や貧困に手を差し伸べ、弱者を守るのはもちろん政治の役割です。しかし個人が自らの人生に責任をもたなくてよいわけではありません。2010年、国民は政治により建設的な政策を求めるでしょうし、個人もまた、自分が責任を負うべきものを問われます。その答えを導くためにも、知る力が必要なのです。
2010年、私たちは人生の責任をもつことができるのでしょうか。 だからこそ身近な仲間から一人一人対話することから始めたいと思います。

朝日新聞2009年12月8日より

2009. 4

中国の後漢に雀子玉という人の「四殺」という座右の銘があります。

人は欲を持つことで自分を殺し、 財産を残すことで子孫を殺す。 政治を間違うと民を殺し、 学問教育を間違うと天下を殺す。
後漢というと、今から約千八百年前の時代です。その時代にして、既に「財産を残すことで子孫を殺す」ということを言っていたとはたいへん興味深いことです。 資産を渡す認識や受け取る認識が未成熟なのか、背景に環境や育ちがあるのか。欧米ではどうなのだろうか。 どちらにしても私たちが今を生きることが大切なことと思います。

ファンドレイジング道場2006年8月27日記事より

2009. 2

桜井よしこさん(ジャーナリスト)がある新聞に “感情律するのが本来の文化”と書いておられました。 文面を一部載せてみます。

私たちがなじんできたしばらく前までの社会では、品格や矜持といった価値観が大切にされ、人々の言動にも反映されていました。それが現在ではあまりにもうち捨てられています。品格が話題になるのは、それが戦後ないがしろにされ、結果として、社会の良さが失われたことを多くの人が肌で感じていることの表れだと思います。 自分の人生は自分だけのものではない、誰かのお役に立ちたい、生きるのは自分自身と家族のためでもあるのだけれど、社会のため、公のためでもある――そう考え、行動した彼らにはおのずと矜持が備わりましたし、身なりが貧しくても、おのずと品格が現れました。 武士だけではありません。幕末から明治初期に訪れた欧米人たちの記録を読むと、一般庶民の気品ある挙措と姿に彼らは感嘆しています。 「品格」からは強い自負と「誇り」が漂ってきます。 日本人の品格が国内の次元だけにとどまるのは、もったいない。 自由も自由経済も大事。それを否定するわけではないけれども、そこには一国一国、一人ひとりの自制心が必要です。日本人の真の意味での品格を、世界に広げていくべきだと私は思います。 品格というとガッツポーズや言葉遣いが話題になりがちですが、もっと大きな枠組みで地球の人々を幸せにできる価値観です。それこそが日本が打ち出すべきものですし、政治や外交、経済の舞台で実行してほしいですね。
と書いてありました。私たち1人1人小さな想いを享受したいものです。

朝日新聞2009年2月15日より

2007.12

企業を起こしてまもないころ「早起きできなくなったら企業人としては失格だと思っている。」と言っておられる企業の社長のコメントを読みました。

学者になろうと博士課程まで進んで、転じて企業人となり、日本でも有数の大企業のトップとして働いておられる人の言葉がすがすがしい。 ・毎日少なくても30分は読書する。言葉遣いは ・正法眼蔵は何度も読み返す。 ・「地球内企業」という独の哲学者ハイデッカーの「世界内存在」からの発想だそうだ。
こういった企業が世界で活躍するのは企業家にとっては夢であります。

朝日新聞2007年12月1日より